[神傳流游書]
此の伸びは真向きにて少し浮体になり、足は游方の足にかはる事なしと雖も游方の意味聊か相違すれば足を遣ふ心も又変るなり。両足を縮めたる時左右の手臂を少し張り、左右の手先きをつき合せ胸の辺にて収め、足を踏み伸ばす時左右の手を目通りに延ばし、其の手を左右へ掻き回しもとの如く胸の方へ収め足も元の如く縮むるなり。幾度も斯くの如し。
以前当流にて是を常の游方とす。当時紀州家の游術家にて是を常の游方とせり。浮体になる処は一応利ありと雖も息合にかかり安心を得る事はならぬ游方なれば強ひて賞するに足らず。
当流にて以前より是を甲書の游方とす。重きものを身に鎧ひては是非沈み体になるなれば伸の如くにて立体になり、強ひて水を踏みたてるにてはこれなしと雖も立体なる故自然踏み込むの理に当り、浮体にはなるなり。然しながら此の游方を用ゆるとも六具を備へては沖も数町を游ぐ事難し。然れば素肌と鎧を着たるとは差別ありて宜しき事なり。右游ぎ方を以て常の游方とするはこれ非なり。
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正面向き やや浮き身
「游方」の足だが気持ちが違う
足縮めた時、両手の膏やや張り、手先合わせ胸元へ。
足踏み伸ばす時、両手を眼前に延ばして左右に掻き、元へ収める。足も縮めて元へ収める。これの繰り返し
以前、これを常の游方としていた
浮体であることは一応の利点だが呼吸が安心してできない※
「常の游方」としては勧められない
以前から「甲冑の游方」に用いた
立ち身になる。
強いて踏むのではないが、立ち身だから自然に踏み込むことになり浮体になる。
だが、武具を着けて距離は泳げぬ
武具の有無で游ぎが違って当然
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