日出学園の臨海学校の歴史は更に遡り、昭和23年谷津遊園で開かれたのが最も古く、今日のような3泊4日(中学高等学校希望参加は4泊5日)のように本格化したのは、翌年の昭和24年、当時の園長近藤時司氏の計らいにより、房総勝山の都立日比谷高校宿舎を借用し、明治以来の伝統を誇る一水会のご指導を得て、開校されたときからです。

こうした中から瑞穂会は、昭和31年度卒(高校四回卒)の、当時大学生、遠藤喜一、横谷勇、長谷川修三、千葉愛子(旧姓石田)、灘波雅子(旧姓平田)の諸氏が発起人となりました。会長は2年先輩の師範資格をもつ森田氏であります。これにより、臨海学校も従来の日比谷高校OBオンリーの一水会の指導のほかに、母校のOB瑞穂会も加わり、後輩の指導に当たるようになったわけであります。

以来、瑞穂会が一水会の補助的役割として、文字どおり母校のため奉仕活動をしてきましたが、昭和39年、場所を勝山から同じ房総の岩井海岸へ移転した機会に、高校第十一回卒5名を中心に、第十回卒1名、第十二回卒4名、計11名により独立しました。以後今日のように、瑞穂会単独で母校の後輩を指導するようになった。独立に際して、当時の一水会前年度師範斎藤一紀氏の特別な計らいにより、瑞穂会員全員、再度一水会師範部屋へ入り、泳法の指導はもとより、臨海学校運営、師範心得をご教示くださり、さらに和船一艘を貸与して頂いたこと誠に感謝にたえません。

瑞穂会の泳法は、『日本泳法神伝流』といい、一水会に学び受け継いでいます。この泳法は伊予大洲(現在の愛媛県)を発祥の地としています。当流の合理的理念は多くの賛同者を得たため、江戸時代全国に広まり、その中でも『東京神伝流』という合理性に力強さを加えた泳法を瑞穂会は受け継いでいます。戦場が河・海としてあみだされた泳法であるため、泳ぎを会得するに至れば、よく自然にとけこみ、波を枕にした心地になるといわれるだけあり、神伝流こそ、海なればこそ、その本領が発揮されるというものです。

水泳指導は直接命にかかわるものです。とりわけ海であれば、余計注意をしなければなりません。そのため瑞穂会の会員は常に水泳を錬磨することを心がけています。瑞穂会師範部屋の資質を1.よく護る力、2.よく教える力、3.よく泳ぎ力とし、都内のプールにて年間を通じ泳ぎ込み、また日本赤十字社の水難救助資格の取得、操船の技術の向上に努力しています。思い出が生徒の胸にいつまでも残る臨海学校のために、また泳法では『瑞穂会の泳法』を完成させるために、という思いが活動のエネルギーとなっているのは、発足当時から変わらないことでしょう。

特に独立後数年間は、後輩の喜びの陰に、尋常では考えられない苦労を強いられてきました。また、当時、そうした現役OBの奉仕精神にもとづき、諸費用は、彼らの小遣い、アルバイトかせぎ、退役OBの寄付により賄えられていたという誠意によるものでした。自己を犠牲にして後輩のために尽くす、美しい人間関係を維持してきたこの精神は、今も継承されています。

創設以来、百十数名の瑞穂会会員のたゆまぬ情熱と努力により一度の事故もなく、延べ七千名以上の後輩達の水泳指導を行ってきました。今日、『会』があるのは、同窓会、ひので会、一水会の方々のご指導とご協力のおかげであり、卒業後、我々に水泳指導の機会を与えていただいた学園に感謝しています。

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